学ぶのは楽しい、失敗するのはもっと楽しい

今日は以前より疑問に思っていたことについて書きます。インドネシア語に限らず、他の言語にも、あるいはほかの事柄についてもいえることだと思います。

テキスト制作の難しさ

私は、初級講座や大学で教える際に使うインドネシア語の入門・初級用のテキストを制作しています。理解を助けるイラストが豊富で、各課で基本的な文法、単語や表現、短い読み物のほか、書いたり話したりすることでアウトプットの機会がある構成になっています。受講後に練習できるよう録音音声もありますので、聞くという要素も盛り込んであります。

実際にテキストを使用している受講者や大学生の評判はまずまずです。ただ、そもそも私が教える際に使用するテキストとして制作したものであり、独習用には別途必要な説明をまだ準備していないので、ダウンロード販売するという形にはなっていません。

実は、このテキストはつくり始めてかれこれ10年くらい経過しています。年々良くなっているのですが、ある段階で行き詰まりを感じています。

「学ぶのは楽しい、失敗するのはもっと楽しい」

私は、「学ぶのは楽しい、失敗するのはもっと楽しい」という気持ちでインドネシア語を学んでほしいと考えています。前半の「学ぶのは楽しい」というのは多くの方が感じています。しかし、「失敗するのはもっと楽しい」の部分がうまくいきません。

「失敗するのはもっと楽しい」というのは、語学でいえばアウトプット、つまり、書いたり、話したりすることです。ほとんどの方が「正しい文」でアウトプットしたがるのですが、はじめの段階では、間違えてもいいからアウトプットをすることを優先したほうがいいと考えています。ある程度、無理なくアウトプットができるようになってから修正していくことで、「大体正しい文」で発話することができるようになっていくと考えています。

ところが、「正しい文」になっていないかもしれないと思うと、自信がなくなる人がたくさんいます。アイスブレーク時には目が合って、にこにこしていた人も、自分で文章を作って発話を求められると、途端に下を向いて目が合わなくなります。例文を読み上げるときは大きな声で読み上げる人も、発話のアクティビティになると、途端に静かになります。

まずは音を確認するためにも、声を出してほしいのです。ですが、正しい文章を作ってからそれを読み上げるために声を出そうとするので、声を出すまでに時間がかかります。その一方で、「いつまでたっても話せるようにならない」といいます。

テキストの正しい文章を読むだけ、もしくは正しい文章を書いてからしか発話しない練習であれば、よっぽど時間をかければ別ですが、そうでなければ「いつまでたっても話せるようにならない」のは当たり前だと思います。

「失敗するのはもっと楽しい」というのは、学んだ表現や文を使う楽しさを感じてほしい、そのためには失敗を楽しめるようになってほしい、という意味を込めています。

テキストがなかなか進まない理由としては、このアウトプットを求める箇所について、独学で学ぼうとする人は飛ばしてしまうのではないか?という疑問が浮かんでしまうからです。それでは、わざわざインプットもアウトプットもできるように構成を工夫している意味がありません。練習問題が多めのワークブック形式にするなどの工夫が必要なのかもしれませんが、それは私がやりたいこととは少し異なります。

新たに知識を学ぶことは、知的好奇心が満たされるので楽しいでしょう。その過程も大切ですが、私が語学を通じて学んでいただきたいことは知識の習得だけではなく、その一歩先にある、「使えるようにすること」です。そのためには多量の文を毎日暗記するか、そうでなければ、学んだ文型や単語を使って、間違ってもいいので書いたり、話したりすることを楽しむしか方法はないと思います。その次の段階でようやく、間違えた部分を直してもらうというプロセスが必要になると思います。

挑戦しよう

昨日、あるところで通訳をしましたが、そこでインドネシア人スピーカーがオーディエンスと共有したかった内容のひとつが、「いかに日本人にとって、初対面の人同士が対話を進めることが難しいのか」という話でした。対話がしやすいようにお膳立てをされても、日本人はまだ構えているという状況に戸惑いを覚えたことが何度もあったそうです。

インドネシア語の授業について私の経験では、ガードが固いともいえそうなこの反応は、年齢差だけが要因ではないと思います。全般的には、年齢が上がるほうが大学生よりもハードルが高い傾向があるように感じています。しかし、同じ大学の大学生であっても、明らかにエンジンがかかるのに時間がかかる学部とそうでない学部があります。また、同じく50歳代であっても、職種やこれまでの経験によっては、すぐに対応される方もいます。

「失敗するのを楽しむ」メンタリティを持ってもらうためには、教える側にも工夫が必要だと思いますが、学ぶ側にも「正しい文じゃないと心配」という呪縛を解く努力が必要なのではないかと思います。努力で呪縛が解けるのか分かりませんが、何もしなければ、大して変わらないと思います。ひとつずつ、意識して行動に移すことが、その一歩ではないかと思います。

話せるようになりたい人は、「失敗するのを楽しむ」つもりで、語学の勉強を続けてください。失敗するということは、挑戦した証です。挑戦するっていうのはワクワクすることではないでしょうか?