「短編小説を読む(Badut)」講座、無事に終了!

「短編小説を読む」講座の終了報告

2022年冬の「短編小説を読む」では、Satmoko Budi Santoso氏の”Badut”を読みました。

Badutは「道化師」のことですが、これはサーカスの道化師、Fahriの周りで起きる出来事を、パフォーマンスを見た少年のやりとりを通して描いた作品です。サーカスは国や地域を問わず昔から親しまれているため、想像しやすい描写が多く、読みやすい作品でした。

前回読んだ”Peci Ayah”と比較すると、Peci Ayahは宗教的文化的背景知識を必要としましたので、インドネシアに住んだ経験がない方には”Badut”の方が読みやすかったと思います。

それでも、Satmoko氏の作品の特徴のひとつでもありますが、”Badut”にもインドネシアの庶民感覚や人間関係の在り方が端的に描かれています。ですから、ニュース記事などを読んでも知り得ることができないインドネシアの生活を垣間見る楽しみがあります。

今回は3名の参加者でこの作品を読みました。通訳者としてお仕事をされている方も学習者としてインドネシア語を学んでいる方もいました。理解力に差があるのでは?と思われるかもしれませんが、皆さまそれぞれに楽しんでいただいています。後日ブログでご紹介させていただきますが、感想をお読みいただくとその点についてはお判りいただけると思います。

講座では、参加者の疑問に答えながら読み進めています。今回はこのような質問がありました。

●この少年は、実は性格がひねくれているのではないか?
●文中に何度も出てくるkhasをその都度日本語に訳出すると、うるさい感じがする。どうしたら良いか?
●なぜここに”ternyata”が使われるのか?

質問が出なければこちらから問いかけることもあります。

●Rejeki(原文ママ)をどのようなニュアンスで捉えるのが良いのか?
●この少年は中学生という設定だが、中学生にしては素直で物分かりが良すぎるのではないか?なぜ中学生だと設定したのだろうか?

このように、さまざまな質問や疑問点についてひとつずつ議論し、必要に応じて方向性を示し、場合によっては各自の考えに委ねられるものではないかなどのコメントをしながら読み進めました。

懇親会の様子

そして講座の最終日には懇親会として、Satmokoさんを囲んでのお話会となりました。
まずは、参加者の方に作品を音読していただきました。

私は、「手にペンを持ち、私が話すことをノートに書き留める以外に、受講者はどう取り組むことができるのか」を意識して講座を運営していますが、この短編講座は、とりわけさまざまな角度から学べるようになっています。

著者を相手に作品を音読してもらうことも、そのひとつです。私ではなく、「より緊張感を感じる相手に発表する場」を重視しているので、緊張されたと思いますが、皆さまが楽しそうに音読されるのを聞いてとても嬉しく思いました。

結果として翻訳の勉強にもなるかもしれませんが、「短編小説を読む」講座ではそれは本質的なことではなく、また答えを教えてもらう場でもなく、それぞれが積極的に関わる場だと考えています。

音読の後、受講者が著者本人に、作品を読んで疑問に思っていることやコメントを伝えました。受講者には、質問を事前に考えていただいたり、講座の中で、これは懇親会で直接聞いてみましょうとお伝えしたりしていました。通訳をされている方も、学習歴が数年でインドネシア語はまだ話し慣れていない方も、それぞれに疑問を伝え、Satmokoさんに答えていただきました。

必要に応じてサポートしましたが、ZOOM上であっても、疑問を直接ご本人に質問することができた満足感が漂ってきました。よく使われる単語ではあるもののあまり知られていない用法や登場人物についてなど、質問はさまざまでした。互いに互いの話に耳を傾けながら場が進みましたが、得難い時間でした。

Satmokoさんご自身も、時に頬が緩み、時に質問の意図に面食らいながら、時によくぞ聞いてくれたとばかりに答えてくれました。こうやって読者から直接疑問点や感想を聞くことで今まで自分で気がつかなかったことに気がついたり、新たな視座を得られることが大変嬉しいとも語っていました。そして、このようにkomunitasのような関りを持つことができてとても嬉しい、というコメントをいただきました。

Komunitasとは

彼が意味しているkomunitasとは、文化芸術的活動を行うグループを指します。

ここではざっくりと記しますが、30年続いたスハルト政権下では、分野を問わず集団で活動をすることが難しい状況にありました。

文化芸術分野においては、踊りや歌などの「芸能グループ」やお稽古の場・養成所としての「サンガール」、個人での創作活動があるほかは、芸術家の集まりなどはありましたが、批判的な言動があると邪推される文化芸術活動には厳しい監視の目がありました。

その反動で、1998年のスハルト政権崩壊後に、これでようやくこれまではできなかった、より自由で批判的でクリエイティブな活動ができるだろうという期待が高まり、文化芸術活動を行う集団が次々と生まれました。

「個人の活動ではない」という意味を込め、それはkomunitasと呼ばれました。最近はkolektifという名称が普及していますが、komunitasも依然として使われています。現在のkomunitasやkolektifでは、例えば、展覧会の企画運営、演劇や音楽公演を行うほか、ライブラリーを併設する、近隣住民と協力して新たな活動を行う、本の著者や開催した展覧会で展示した絵画の画家など当事者を迎えて行う議論の場を設けるなどインタラクティブな活動を行っています。

コロナ禍で勢いを弱めつつも、オンラインなどを活用し、現在も工夫しながらさまざまな活動を展開しています。

ですから、著者を囲んで行われたこのささやかな懇親会がkomunitasの活動になぞらえて喜んでいただけて、こそばゆく感じました。

2022年夏の予定

今年の夏にも、第3弾として、Satmoko氏の短編小説を読みます。
気になっている方は今からご予定ください。8月~9月の金曜日の夜か土曜日夕方を予定しています。

追記:
”Badut”は、”Badut yang teraniaya”というタイトルに変更され、今年中に、Satmoko氏の短編集の一編としてジョグジャカルタの出版社から出版されるそうです。