「はじめに」

「短編小説を読む」

「短編小説を読む」講座では、昨夏にSatmoko Budi Santoso氏の”PECI AYAH”を、昨冬には同じく”BADUT”を読みました

短編小説だけでなく、著者ご自身による朗読音声も教材となったこと、また、最終日には著者を招いてオンライン上で懇親会を行うなど、なかなか得難い体験ができたと参加者の方々には大変好評でした。

ちょうど1年ほど前、短編小説を書くSatmoko氏に教材として使わせてもらえるような短編小説はないか問い合わせたところ、快く数多くの作品を送ってくださいました。その中から、長さやテーマ、会話の内容などさまざまな点を考慮し、講座で扱うのにふさわしいと思われるものを選んで教材にさせていただきました。

実はそのほとんどが実は書き下ろしだったことも知らずにおりましたが、先月、ジョグジャカルタのBasa Basi出版社から短編集として出版されました。講座の初回で扱った”PECI AYAH”のタイトルが”UANG YANG TERSELIP DI PECI”と変更され、本のタイトルとなっていました。

小説の楽しみ方?

出版にあたり、掲載したいので1パラグラフ分だけ感想を書いてほしいと依頼がありました。

1パラグラフ分だけ書くというのは、短すぎて逆に大変難しい作業であることは承知しておりましたので、悩んだ挙句、講座の中で日本とインドネシアの人間関係の違いをどの言葉から感じているのかという具体例と、Satmoko氏の教材をどのように楽しんでいるのかを、正直に言えば、どのように悩みつつも最後には楽しめるようになったのかというプロセスを書きました。この中で使える文章があれば切り取って使ってください、とメッセージを添えて。

ところが、迷いながら読んでいるという軌跡が新鮮に感じられたのか、あるいは私たちが感じている違いが逆に興味深かったのか、「はじめに」に全文を掲載したいと申し出がありました。

拙い文章であり、さらにいえば「はじめに」にふさわしい内容ではないことは重々承知しておりますが、著書が気に入ったのであれば反対する理由もないため、そのまま掲載されることとなりました。

インドネシア語を教える仕事をしており、かつインドネシア語通訳者でありながら、インドネシア語で自ら何かを発信するということをこれまで積極的に行ってきていませんでした。想定外の展開に赤面する思いはあるものの、今回改めて、懸け橋としての役割を持つ立場としてそのような覚悟を持つべきだと思いました。

夏にはまた別の作品を扱います。一緒に作品を楽しみたいという方は、是非、夏にご参加ください。

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