本日から秋期講座がはじまりました!
「初級講座」、「日常会話」(随時参加可)、「読解講座」、「通訳準備2」、「通訳基礎1」のすべての講座を開講いたしました。
この秋期講座が終了するのが今年12月から年明けの1月になりますので、2022年1月か2月に冬休み特別企画として「短編小説を読む」第2弾を予定しております。
それでは、夏講座の「短編小説を読む」のアンケート結果をご報告します。
アンケート結果
初めての企画となったこの「短編小説を読む」の講座も、作家のSatmoko氏及び受講者の皆様に支えられて無事に開催できましたことを、この場をお借りしてお礼申し上げます。
受講者の方よりアンケートの回答が届きましたので、こちらにて一部紹介いたします。
受講者は、魚躬圭裕(20代後半、男性)、T. Yoshida様(70代、男性)、A. M.様(50代)、S. Y.様(女性)、N. Y.様(60代、女性)、A様(30代、男性)、A様(女性)の7名でした。
迷い
どの方も、他の講座を受講された方だったということもあるかもしれませんが、受講を迷われた方はいらっしゃいませんでした。
期待していたことは?
受講者は、具体的に何を期待されていたのでしょうか。
「素直に小説を楽しむこと」が一番多く、その次に「読解力向上」を期待された方が多かったことがわかりました。
自由回答欄をみると、「インドネシアの小説を読みたい」、「表現を知りたい」、「ストーリーが腑に落ちないことがあるので、別の解釈を知りたい」という小説に対する期待のほか、「音声教材」や「日本とインドネシアの違い」という回答がありました。
受講の決め手は?
先ほどの「期待」にも通じると思います。「受講者同士の解釈が刺激的に思える」、「5回講座ということでハードルが低く感じられた」、「小説を読みたかった」、「作者との交流が楽しみ」、「朗読を聞くことができる」などが回答としてあげられました。
期待していたことに対する満足度は?
期待していたことについては、皆さま上記のどの項目においてもおおむね満足されていました。「素直に小説を楽しむ」と「読解力向上」については、評価が高いですね。
「作者と話す」、「作者が話しているのを聞くこと」については、とても楽しむことができた方もいらっしゃる一方で、懇親会に参加できなかった方や、聞き取ることができず、十分には楽しむことができなかった方もいらっしゃいました。
補足の自由回答欄には、次のような回答がありました。
「リスニング力不足のため(以下略)」の回答についてさらに私から補足すると、主な内容は通訳したのですが、「聞いた内容を自分で聞き取りたかった、他の人が聞いてすぐにわかって反応するのと同じタイミングで理解したかった」という思いが表れているように感じました。
しかし、恐らく、これが原動力になり、次回は今回よりも聞き取ることができるように今後の勉強を工夫される気がしています。
受講レベルは?
今回は7名の方が受講されました。回答の選択肢は「はい」と「いいえ」ですが、「簡単すぎた」と感じられた方と「難しすぎた」と感じられた方が1名ずついらっしゃったとご理解ください。
小説の印象と教材についての感想は?
受講レベルが合っていないと感じられた方も、小説の印象については、「長すぎることも短すぎることもあったが、全体としては問題ない」、「難しすぎることもやさしすぎることもあったが、全体としては問題ない」と回答されていました。小説そのものについてはさまざまな楽しみ方ができる、と理解しました。
自由回答欄にはなるほどと思われる回答がありました。インドネシアの短編小説は、もともと読後の余韻の楽しみ方を読者に委ねているところが特徴だと感じています。日本の俳句などは、限られた文字数の中に季語をいれ、情景や心情を詠んだものです。
それに対して、インドネシアの短編小説は、俳句ほど制限があるわけではないものの、文字にならない余白(行間)や読後にどのような情景や心情を思い浮かべるのかを日本の短編小説以上に読者に委ねているという点で、俳句のような性質を持ったものだと感じています。
だからこそ、私の理解で合っているのだろうか?という疑問が残ったまま読み終えるのではないでしょうか?そのもやもや漂う読後感を味わっていただきたかったのですが、私の期待通り、十分に味わっていただけたと感じました。
ご意見もろもろ
どのような講座だったのかについては、こちらの感想から推し量ってください。
運営その他について
授業運営について、その他のコメントは以下の通りでした。皆さま、率直なご意見をありがとうございました。
受講者数について
今回は、私の講座の中では今までで一番多い、7名の方が参加されました。参加者が多いとひとり当たりの発言量や担当分量が減りますので、その点について質問しました。
7名では多いと感じられた方が1名、他の方は7名なら問題ないと感じられたそうです。過去に参加された講座の参加人数の多寡、その講座内容、担当分量や発言の機会が多い方がやりがいがあって嬉しいのか、少ない方が気楽に受講できてほっとするのかなどの理由によっても、受ける印象は異なるかもしれません。
最後に
他にも以下のような回答がありました。受講者の方々が、根気よくこの小説に取り組んでこられたことが伝わってきませんか。
受講者の皆さま、お忙しいなか大変丁寧にご回答くださり、誠にありがとうございました。
短編小説を読む講座が生まれた背景
以前、ある大学でインドネシア語学習者に対し、短編小説を題材に授業をしたことがありました。
外国語で小説を読む際は、短編であれ長編であれ、社会文化的背景が分からないと文脈が分からないので、膨大な量の単語調べが苦痛になりがちです。そのため、小説の背景も検討する必要がありますが、他にも、小説内で用いられる単語の傾向や、余白や余韻の楽しみ方など、いくつか大事なポイントを検討する必要があり、教材にする小説を選ぶのは難航しました。
時間をかけて複数の短編小説を読み比べ、最終的にこれなら、と思える比較的分かりやすいものを選びました。にもかかわらず、授業では少し進むと「ここが分からない!」と質問が出るので、事前に想定していた以上にひとつの文章に時間をかけて話を聞いたり、説明をしたりしました。
学生のインドネシア語学習歴は、大学で2年間インドネシア語を学んだ学生達で、まじめな学生が多いクラスでした。1年インドネシアに留学していた学生も複数いました。よくできる学生ですら事前の準備がかなり大変だと言っており、履修者全員が苦しそうでした。
申し訳ないという気持ちになりつつ、作品を読み終えるところまでは何とかついてきてもらわないと、と思いながら授業を進めていました。ところが読み終わると、驚いたことに全員から「とても面白かった」と言われました。そして次の作品を読んだ際も、同様に大変好評でした。
簡単にまとめると、「ひとりで読んでいても分からなかったことが、インドネシアの背景を説明されて意味が分かるようになったら、日本との違いも分かってとても面白かった」となります。「大学に入ってこんなに大変だった授業はなかったが、一番面白かった」という嬉しい感想を寄せてくれた学生もいました。
私自身は文学や短編小説に造詣が深いわけではないので、このような講座を開講することには抵抗があります。しかし、インドネシア語という言語を教えることが多い私の講義の中で、履修者全員にそんなに楽しんでもらえた講義はその講義だけでしたので、いつかまたどこかで「短編小説」を扱いたいと考えていました。
今回、著者と連絡がつき、著作権の問題をクリアできたため、この講座を開講することにしました。私の説明が十分であるかどうかは怪しいのですが、結果的には、狙い通りで「読後のもやもや感を皆で共有しながら議論する」ことができました。「すっきりした解答」を求めていた方は消化不良に感じられたかもしれませんが、この読後に漂う空気を感じることこそが、インドネシアの短編小説を読む醍醐味なのではないかと思っています。
分かりやすい譬えか分かりませんが、このようなイメージだと思います。西洋音楽をしっかり学んだ日本人が演奏したガムラン音楽を聴いたことがあります。その演奏を聞いたとき、まず違和感を覚えました。理由を考えたところ、ガムランがきちんと調律されていて音が正しかったことが原因だと感じました。
それは、ガムラン音楽が好きな方の集まりの演奏ではなく、西洋音楽を学んできた学生が民族音楽の学習の一環として演奏したものでした。学生にとっては、音階やリズム、音楽の構成など、魅力を感じる点が多々あり、それをきっかけにガムランやインドネシアに興味を持つ人もいるでしょう。
とはいえ、西洋音楽的感覚できちんと調律されたわけではないガムランだからこそ、複数の楽器が奏でる音にやや幅が出て、奥行きも生まれ、醸し出される何かがあり、漂う空気が魅力的になるように思います。きちんと調律してしまっては「漂う」はずだったものが漂わず、もったいない気持ちになります。
しかし、ガムランが持つ奥行きや漂う空気感、その「漂う空気を味わう」ことがガムランの魅力だということについては、「音程が正しい」ガムラン演奏を聴いて初めて思い至った感覚でした。学生たちのガムランに私が学びました。
インドネシアの短編小説も同様に、漂う空気が一つの魅力ではないかと感じています。その空気感を一生懸命に努力して味わうのではなく、漂う空気をそのまま楽しめるようになる日を待ち望んで、これからも読み続けていきたいと思います。
最後になりますが、今回は著者に朗読していただけました。朗読を聞くと、小説を読み進めていくなかで、それまではモノトーンだった情景が鮮やかに彩られていくような感覚を覚えました。小説を楽しむだけでなく、良い朗読を聞く機会に恵まれましたこと、改めてSatmoko氏には感謝申し上げます。