話が逸れますが、語彙増強について少し記します。
偉そうに他人に言えるほどの語彙力なのか?と我が身を反省しつつ書いています。今でも努力は続けているので、それに免じて語彙増強に関する私の考えについても読み流していただければと思います。
日本語、インドネシア語を問わず、私が知らなかったり、知っていても使いこなせていない単語はごまんとあります。今でも毎日、辞書を引いては、未知(単なる勉強不足)の世界が大海原のように広がっていることに気が付き、それが私の「知る喜び」につながっています。
最近では、生態系の業務を通じて「川狩」という季語を知りました。
もともとは、川に植物の毒を流し、麻痺させることで魚を簡単に大量に捕まえる漁法の日本語を探していました。今の時代なら「持続可能な自然資源の活用」、「自然資源管理慣行」、ひと昔前なら「入会」、あるいは「コモンズ」の文脈です。
日本でも過去に同様の漁法が行われていたため、すぐに見つかりました。「毒流し」、「毒もみ」などの呼称があり、日本では山椒が使われることが多かったようです。その「毒流し」は「川狩」ともいい、夏の季語だということも分かりました。
季語になっているということは、昔々、川が流れている地域では、1年のなかで特定の時期に「毒流し」を行ってよいという取り決めが村にあったこと、それは麻痺する成分が最も高くなる時期のはずで、夏の季語ということから、行われていたのは5月~7月だったことが推察できます。
そうすると、「毒流し」が行われていたのは「山椒」がスーパーに出回る時期とあまり変わらないだけでなく、私たち人間のみならず魚も山椒に痺れていたということです。魚も捕まる直前まで「山椒の季節の到来!」と束の間の喜びを感じていたのかは分かりませんが、このように想像していくと、「川狩」が一気に身近な存在になります。
ちなみに、俳句歳時記を開いてみたところ、次のように書かれていました。
【川狩】投網 川干 瀬干 毒流し 換堀 掻堀
川で一挙に魚を獲ること。主に投網・叉手網・四つ手網など網を用いる。また、川を堰き止め中の水を干してとる「川干」、川に毒を流して漁獲する「毒流し」などがあり、堀や池の水を汲みほして獲ることを「換堀」という。
(『合本俳句歳時記(第五版)』角川書店より)
マルク諸島で行われるサシについては大雑把な知識がありましたが、今回の漁法はそれとも異なります。インドネシアのある地域で行われていた漁法も日本昔話に出てきそうなものとしてイメージしやすくなります。(ちなみに「毒流し」という漁法は、日本では、水産資源保護法により現在は禁止されているそうです。)
このように単語の意味を辞書で調べると世界が広がります。単語を文字で覚えるのではなく、このようにイメージできるようにすることがポイントです。こうすると頭の中で白黒だった情報がカラーになりませんか?カラーになった情報は定着しやすいと思います。
語彙増強の方法として、私は辞書を調べるように言いますが、知りたい単語だけを効率よく調べると、単語調べの時間は短縮できますがその単語が定着するまでに時間がかかるものです。定着させたい単語なのか、その場で意味が確認できれば良いのかを判断し、単語調べにメリハリをつけましょう。
ある単語からその背景にある世界を推察する力が、スピーカーが伝えようとしていることを適切に捉える力につながると思います。今回では、「夏の季語」だと分かったことから、多くのことを推察することができました。
この場で出しても良い例で「背景知識が通訳力を左右する」ということを具体的に説明するならば、このようなことだと思います。スピーカーが「毒流し」のインドネシア語バージョンを説明した時に上のことが頭に浮かべば、メモリを食わずに通訳業務に専念できます。そのため、デリバリーの質が上がります。
語彙増強に関する話題はこれくらいにして、アンケートに戻ります。