著者、Satmoko Budi Santoso氏を交えて懇親会を開催
昨日、「短編小説を読む」講座を終了しました。まずは、講座の様子をご報告します。
全部で5回に分けて読みました。
事前に読んでいただいていましたが、「情景を頭に思い描くことはできても、ぴったりくる日本語を探すのは難しい」という声が多くあがりました。翻訳の練習ではないので、ぴったりくる日本語でなくてもまったく構わないのですが、毎回の分量が多くないので、ついつい日本語もこだわりたくなってしまったようです。
ところが、いざやってみると、思いのほか難しい。「時事問題と比べると小難しい名詞や略称を用いていないので、想像はできるのに日本語ではうまく表現できない」、「予習では分かったと思っていたところも、改めて講座に参加すると理解を間違えていたところが思いのほか多かった」と感じた方もいました。「インドネシア語の単語力よりも日本語の語彙力を問われたと感じた」という感想もありましたが、私自身も同じように感じました。
講座の中では、ひとつの単語について、どの日本語であれば原文の意味を表していると思うのか意見を出し合ったり、ある表現について理解できない理由は何だろうかと話し合ったりしながら、解釈を確認していきました。そのほか、ジャワの社会文化的背景が分からないと分かりにくい箇所の解説などもしました。
音声教材について
Satmoko氏にご自身の短編を朗読してもらった音声教材もテキストとして配信しましたが、「『まんが日本昔話』のような、懐かしさを感じる朗読がいい!」、「内容が分かるにつれて聞き取れる言葉が増えた」など大変好評でした。
知らない単語が含まれている文章を読むときには、単語をひとつずつ読み進めてしまいがちなのですが、朗読のおかげでパッと把握すべき情景はどこまで続いているのか(音楽でいえば、ひとつのフレーズはどこまでなのか)を音の流れで確認することができました。
単語の意味が分かると、という条件はつきますが、こねくり回していた文字が、音声として聞いた途端、急に鮮明なイメージとなって頭に浮かんできました。これは、朗読が、著者本人によるものだからというだけではなく、間の取り方や声色の使い分け、感情の乗せ方などが秀逸だったからでしょう。
日本語にする難しさ、音声から情景を想像するワクワク感という体験は得難いものでした。他にも、ひとりで読んだら意味が分からなくても確認できないのでそのまま読み進めてしまうところを確認できるところ、自分では読んでみたいと思ってもどのような短編が面白そうか分からない中で短編を選んでもらえることが嬉しかったという声もありました。
懇親会で話したこと
昨日は最終日でしたので、夜にはSatmoko氏を交えて懇親会を催しました。その中では、どうしても理解できなかった用法や単語の意味などを直接確認することができたのですが、これもまた貴重な体験でした。
用法については、時事問題などでは出てこない使い方を直接ご本人に確認することができ、著者の文体がこのようなスタイルだからということを説明していただき、すっきりました。他にも、小説のオチの解釈が分かれる中で5回目の講座を終えたのですが、直接確認することで腹落ちしました。
いくら小説の解釈は自由だといっても、やはりご本人に伺うのが一番ですね。オチの意味を確認できたところで、改めて初めから読み直したい、という欲求が生まれ、ひとつの作品を時間をかけて楽しむことができました。私自身は文学作品に強いわけではありませんので、著者に確認できる場があるのは私にもありがたいことでした。我ながら良い企画でした。
同時に、Satmoko氏にも大変喜んでいただけました。日本人がどのようなことに疑問を持って読むのか(今回の場合は単語の意味や使い方などに関する疑問で、小説の解釈ということではありませんでしたが、)を直接知ることができて勉強になったし、皆さんとお話しすることができて楽しかったと感想を伝えてくださいました。
また、直接Satmoko氏に自己紹介をしたり、小説の感想を伝えることができたり、インドネシア語を使うという実践面でもワクワクドキドキする時間を過ごせたのではないでしょうか?何度も読んだ作品で内容が分かるだけに、内容に関するSatmoko氏によるインドネシア語の説明もよく理解できたと思います。
「短編小説を読む」講座はこのように楽しんだのですが、冬(2022年1月か2月)に別の作品で「短編小説を読む」講座を開講しますので、興味のある方は次回ご参加ください。